津久田人形

2024年12月の記事一覧

堪能!伝統芸能教室

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  やさしい絵本太功記  ←わかりやすいあらすじを掲載しました。

 3年生の総合的な学習では、地域の素晴らしいモノ・コトを学習します。その一貫として、地域めぐりでは人形浄瑠璃を演じる舞台や人形を格納する倉庫を見学させていただきました。
 この日は、一年ぶりの津久田人形桜座による伝統芸能教室。3年生~6年生までの児童が一緒に鑑賞しました。会場となった体育館は舞台が設置され、のぼりや垂れ幕が飾られました。輝かしい津久田人形芝居櫻座生誕300年祭が昨日のことのようです。見る人が見れば、まさに往事が偲ばれる何とも言えない雰囲気が醸し出されていました。
 開演前に、津久田人形伝承委員長の狩野様にご挨拶と津久田人形について説明していただきました。津久田人形芝居は、江戸時代中期(享保8年頃)に興ったとされる三人遣い浄瑠璃系の人形芝居です。伊勢講のついでに大阪で芝居を見てきた当時の人々が始めたものだそうです。なんという熱意でしょう。現在、津久田桜森八幡宮境内の人形劇舞台と人形多数が県の文化財指定になっています。
 いよいよ開演を告げる拍子木が鳴らされました。本日の演目は、「絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段」です。これは、尼ヶ崎に住んでいる老母皐月のもとへ光秀の妻操が、嫁初菊を伴って見舞いに来ます。光秀の一子十次郎も出陣の許しをもらうために訪れ、初菊と祝言して出陣します。一方、武智方の勇将四天王但馬守に追われた久吉も、僧侶の身なりとなって宿を求めてやってきます。光秀はそのあとを追ってやって来て久吉(羽柴秀吉)を討とうとしたところ、誤って母を刺してしまいます。久吉と光秀は勝負を天王山で決しようと別れていきます。
 人形芝居が始まると、会場は水を打ったように静まりかえました。子どもたちは、はじめて見る人形芝居に集中しています。見る前に示唆していただいた光秀が誤って刺してしまう人が分かったときには、「やっぱり!」という声が聞かれました。
 6時間目は、3年生が津久田人形の操作体験をさせていただきました。人形の着物をめくると、なんとシンプルすぎる骨組みが現れました。「え~っ、骨だけだよ」「片手で持てるように軽くなっているんだね」「女性に足がない。でも、女の子にはあるね」「目や口が動く人形もあるよ」という声が聞かれます。三人組で首と右手、左手、足担当に分かれていろいろな動きを試みました。「思ったより重いねぇ」「着物が重いんじゃないの」「鎧を着てるとは重いよ」「3人で動かすのは難しいね」などという声が聞かれました。
 桜座の皆様も、熱意溢れる全力サポートです。「うわぁ、生きてるみたいだね」「しっかりと合っているよ」と褒められるグループもありました。
 今回のように、子どもたちが文化財に直接触れることも希ではないでしょうか。今回は、地域に古くから伝わる伝統芸能に触れることができた貴重な機会となりました。3年生の中から、この誇るべき文化を受け継いでいく子が出ることを期待しています。来月は、待望の津久田人形クラブの発表が控えています。

ぶつけて悔いなし!3松の質問

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 3年生の総合的な学習では、地域の素晴らしいモノ・コトを学習します。もちろん津久田人形の学習は外せません。その一貫として、地域めぐりでは、人形浄瑠璃を演じる舞台や人形を格納する倉庫を見学させていただきました。
 津久田人形芝居は、江戸時代中期(享保8年頃)に興ったとされる三人遣い浄瑠璃系の人形芝居です。伊勢講のついでに大阪で芝居を見てきた当時の人々が始めたものだそうです。なんという熱意でしょう。現在、津久田桜森八幡宮境内の人形劇舞台と人形多数が県の文化財指定になっています。
 この日は、津久田人形クラブの講師の皆様に、子どもたちが考えた質問に答えていただく時間が設定されました。3松教室には、狩野先生・須田先生・池田先生の重鎮と本物の人形がデーンと聳えていました。
 最初の質問は、「津久田人形芝居は、なぜキンメイチクの近くにあるの?」というコロンブスの卵のような鋭いものでした。子どもの質問とはいえ、予想外の内容にしっかりと思索をしてきていただきました。明快な回答に、さっとメ モをとる子がいました。続いて、
 ②何年前に、誰が始めたのか?        ③舞台の配置は、他とちがうのか?
 ④なぜ津久田人形という名前がついたのか?  ⑤どれくらい練習が必要か?
 ⑥舞台を上演するのに、何人くらいの人が必要か?
という質問が出ました。
 人形の動かし方や黒子の衣装の説明も追加されるなど懇切丁寧な説明で、最後は時間が足りなくなってきました。12月に津久田人形桜座による伝統芸能教室を鑑賞する事前学習として、充実した時が流れていました。

熱演!津久田人形クラブ

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 津久田小人形クラブのメンバーが、津久田人形芝居櫻座第4回地域鑑賞会の檜舞台で人形芝居の公演を行い、好評を博しました。
 津久田小学校では、3年生の総合的な学習の時間の1トピックとして、津久田人形にスポットを当てています。その一環で、櫻座の皆様によって「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」の公演をしていただいています。さらに公演で使用した人形の操作を体験させていただいています。まさに手取り足取りの指導で、3年生はとても楽しみに11月のその日を待っています。
 津久田小では、令和4年度からクラブ活動の一つとして津久田小人彩クラブが始まりました。毎回、櫻座の皆様の熱心なご指導の声が飛んでいます。本年度も4年生から6年生の9名が参加し、「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」を熱心に練習しています。新たな試みとして口上や拍子木も担当することとなりました。もちろん、月1回の練習だけでは足りません。そこで、夏休みから毎月特別練習を行ってきました。文字通りの特訓となりました。子どもたちは、「三人遣いの人形の操作は難しいけど、"がんばったね"と言われてやる気が出たよ」という声が聞かれました。
 当日は、絶好の公演日和となりました。会場も用意された椅子がほぼ埋まっています。さらに、本物の義太夫と三味線が花を添えます。大勢の人を見た子どもたちは、「緊張するね」「でも、がんばろうよ」と緊張気味です。
 演目「傾城阿波の鳴門」は、歴史的な素材を扱う「時代物」の作品で、阿波徳島藩のお家騒動を描いています。全体が10段で構成されていて、「順礼歌の段」は8段目です。
 「順礼歌の段」は、長年離れて暮らした母子が再開する場面を描いています。おつる(娘)から「自分を祖母に預けてどこにいるか分からない両親を探して西国巡礼している」と聞いたお弓(母)は、両親の名を尋ねます。「ととさんの…」という有名なせりふは、その問いに答えたものです。おつるは「同じ年頃の子どもが母親に、髪を結ってもらったり、抱かれて寝たりするのがうらやましい」「一人旅なので宿に泊めてもらえずに野山で寝たり、軒先で寝てたたかれたりすることもある。親がいればこんなつらい目に遭わないだろう」と語り、両親に会いたいと切々と訴えます。お弓は思わず名乗ろうとするのですが、主君のためとはいえ、盗賊として追っ手から逃れる身です。おつるを巻き込みたくないと、悩みに悩んだ末、国元へ帰るように諭しておつるを帰し、泣き崩れます。おつるの両親を恋う気持ち、お弓の我が子を思う愛情と葛藤が、胸を打ちます。
 本番に強いのでしょうか。口上を述べるところから息ぴったりです。最初に、お弓(母)が登場するところも堂々としたものです。時間が経つにつれてどんどんこなれていきます。その自然な動きに、会場の皆様の目も釘付けになっていました。クライマックスに近付くにつれ、雨あられと見紛うばかりのおひねりが舞いました。クラブ員の家族の皆さんでしょうか。公演は、皆様の温かい拍手を浴びて終了。顔を出した子どもたちに、ケータイやカメラのシャッター音が嵐のように降りかかりました。一人ひとりの顔を見ると、大きな仕事をやり切ったという満足感に溢れていました。
 なお、この日は全員が出演できるように、役割を変えて2回講演を行われました。

見たぞ!津久田人形

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 3年生の社会「学校のまわり」で、日ごろ住む赤城町津久田地区はどんな様子なのか調べました。今回は、特に身のまわりの誇るべき文化財を巡って歩きました。元津久田小校長の須田昭司先生、狩野達雄先生、池田信明先生の豪華な講師の皆様に、文化財に関係する皆様に現地で説明していただきました。
 コースをご紹介します。※かつて3年生が作ったかるたを併記します。
①津久田小学校→②角田柳作先生生家(「柳作先生 英語の辞書を 食べちゃった」)→③見間入沢水害碑(「歴史を彫った 見間入沢水害碑」「忘れない 災害あった 津久田地区」)→④桜森(「桜の森 めずらしいものいっぱいだ」「舞台下 船底になってて びっくりだ」「江戸時代 人形披露が 楽しみだ」「彼岸桜 300年も生きている」「珍しい 日本で最初の 金明竹」)→⑤養蚕碑(「養蚕碑 お蚕飼って 金儲け」「忘れない 災害あった 津久田地区」)→⑥津久田城跡(「狼煙あげ 沼田城と 戦争だ」)→⑦角田無幻石碑(「無幻さん 習字を教えた 天皇に」「常夜灯 昔通りに 灯がともる」)→⑧津久田小学校です。絶好のウォーキング日和のなか、子どもたちは8時30分に学校をスタートしました。それぞれの場所では、とても貴重なお話しが聞けました。
 子どもたちの感想をいくつか挙げます。
「ぼくは、津久田人形をはじめて見て、とてもすごいなぁと思いました。」「はじめて知ったことが多かったです。メタセコイヤという名前の木も分からなくて、福増寺の鐘にもそんな物語があるなんてと思いました。津久田小のまわりにいろいろなものがいっぱいあってすごいなと思いました。」「私は、角田柳作先生と角田無幻先生のことをよく知りました。柳作先生の家が火事になって作り直したなんて、無幻先生は習字がうまいなんて知りませんでした。」「私も人形劇をやってみたいなと思いました。12月の津久田人形の学習が楽しみです。」
 これから、この貴重な体験やデータをもとに、学習を深めていきます。