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津久田人形
津久田人形学習会再び!
津久田人形芝居櫻座生誕300年祭、さらに12月の伝統芸能教室から早1ヶ月。3年生が総合的な学習の時間で、2回目の津久田人形学習会を行いました。今回は、今まで学習の補足説明と子どもたちからの質問の回答をいただきました。人形は、「絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段」でお馴染みの光秀と「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」の娘を持ってきていただきました。
以下、概要です。
①どこにあるのか
津久田第一区、八幡宮境内人形舞台にある人形保存庫に保管されています。
②いつ頃のものか
人形の始まりは、1723(享保8)年です。舞台の始まりは、1811(文化8)年になります。
③何のためか、どうして始められたのか
八幡宮の春の大祭の奉納のためです。この時代の農村の娯楽でした。村人たちがお伊勢参り(皇大神宮)の帰りに数体の人形をみやげとして買い求めて来たのが始まりです。
④人々はどのような気持ちで受け継いでいるのか
明治時代は非常に盛んな時がありました。昭和時代にいたって戦争で中断しました。その後、昭和26年に復活しています。さらに、この年の10月には、県の重要文化財に指定されました。
ここ最近、座の高齢化等による減員のため休座していましたが、平成24年に県の教育文化事業団の力添えで再復活を図りました。現在、有志の人々や桜座の人たちで津久田人形伝承委員会として再発足し、様々な場所で活躍しています。300年祭での盛大な公演は記憶に新しいです。
途中、復活時のニュース映画(昭和24年)が流れました。画面には、当日の人々の汗や熱意が横溢していました。
最後に、子どもたちの質問を紹介します。
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①いつもどんな練習をしていますか。 ②誰が人形を作っていますか。
③櫻座のメンバーは何人ですか。 ④みんなどんな理由で櫻座に入りますか。
⑤どうやって動きを覚えますか。 ⑥やっていて楽しいですか。
⑦なぜ若い人が少ないのですか。 ⑧一番大きい人形は何ですか。
⑨一番好きな人形は何ですか。
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どの質問にも、丁寧に回答していただきました。
堪能!津久田人形学習会
3年生の総合的な学習では、地域の素晴らしいモノ・コトを学習します。その一貫として、地域めぐりでは人形浄瑠璃を演じる舞台や人形を格納する倉庫を見学させていただきました。
この日は、昼休みに津久田人形クラブの凱旋公演を行いました。その後は、一年ぶりの津久田人形桜座による伝統芸能教室。他の学年は退場し、3年生のみ残りました。会場となった体育館は舞台が設置され、のぼりや垂れ幕が飾られました。輝かしい津久田人形芝居櫻座生誕300年祭が昨日のことのようです。見る人が見れば、まさに往事が偲ばれる何とも言えない雰囲気が醸し出されていました。
開演前に、津久田人形伝承委員長の狩野様にご挨拶と津久田人形について説明していただきました。津久田人形芝居は、江戸時代中期(享保8年頃)に興ったとされる三人遣い浄瑠璃系の人形芝居です。伊勢講のついでに大阪で芝居を見てきた当時の人々が始めたものだそうです。なんという熱意でしょう。現在、津久田桜森八幡宮境内の人形劇舞台と人形多数が県の文化財指定になっています。
いよいよ開演を告げる拍子木が鳴らされました。本日の演目は、「絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段」です。これは、尼ヶ崎に住んでいる老母皐月のもとへ光秀(「麒麟がくる」の明智光秀)の妻操が、嫁初菊を伴って見舞いに来ます。光秀の一子十次郎も出陣の許しをもらうために訪れ、初菊と祝言して出陣します。一方、武智方の勇将四天王但馬守に追われた久吉も、僧侶の身なりとなって宿を求めてやってきます。光秀はそのあとを追ってやって来て久吉(羽柴秀吉)を討とうとしたところ、誤って母を刺してしまいます。久吉と光秀は勝負を天王山で決しようと別れていきます。
人形芝居が始まると、会場は水を打ったように静まりかえました。子どもたちは、はじめて見る人形芝居に集中しています。見る前に示唆していただいた光秀が誤って刺してしまう人が分かったときには、「やっぱり!」という声が聞かれました。
その後、三味線・太夫の演奏を聴き、津久田人形の操作体験をさせていただきました。人形の着物をめくると、なんとシンプルすぎる骨組みが現れました。「え~っ、骨だけだよ」「片手で持てるように軽くなっているんだね」「女性に足がない。でも、女の子にはあるね」「目や口が動く人形もあるよ」という声が聞かれます。三人組で首と右手、左手、足担当に分かれていろいろな動きを試みました。「思ったより重いねぇ」「着物が重いんじゃないの」「鎧を着てるとは重いよ」「3人で動かすのは難しいね」などという声が聞かれました。
桜座の皆様も、熱意溢れる全力サポートです。「うわぁ、生きてるみたいだね」「しっかりと合っているよ」と褒められるグループもありました。
今回のように、子どもたちが文化財に直接触れることも希ではないでしょうか 今回は、地域に古くから伝わる伝統芸能に触れることができた貴重な機会となりました。3年生の中から、この誇るべき文化を受け継いでいく子が出ることを期待しています。
津久田人形クラブ、アンコール公演
津久田人形芝居が生誕300年を迎えるにあたって、昨年度からクラブ活動の一つとして津久田小人彩クラブが始まりました。今年度は4年生から6年生の9名が参加し、「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」を熱心に練習しています。目標は、晴れの舞台である津久田人形芝居櫻座生誕300年祭で成果を問うことです。当日は、インフルエンザの流行で参加できない子もいました。そこで、3年生の津久田人形学習会に合わせて、再びあの興奮を味わわせてもらうことになりました。昼休みに、体育館でアンコール公演を行うことになりました。体育館に集まった子どもたちは、学年ごとに床に座り、開演を待ちました。
演目「傾城阿波の鳴門」は、歴史的な素材を扱う「時代物」の作品で、阿波徳島藩のお家騒動を描いています。全体が10段で構成されていて、「順礼歌の段」は8段目です。
「順礼歌の段」は、長年離れて暮らした母子が再開する場面を描いています。おつる(娘)から「自分を祖母に預けてどこにいるか分からない両親を探して西国巡礼している」と聞いたお弓(母)は、両親の名を尋ねます。「ととさんの…」という有名なせりふは、その問いに答えたものです。おつるは「同じ年頃の子どもが母親に、髪を結ってもらったり、抱かれて寝たりするのがうらやましい」「一人旅なので宿に泊めてもらえずに野山で寝たり、軒先で寝てたたかれたりすることもある。親がいればこんなつらい目に遭わないだろう」と語り、両親に会いたいと切々と訴えます。お弓は思わず名乗ろうとするのですが、主君のためとはいえ、盗賊として追っ手から逃れる身です。おつるを巻き込みたくないと、悩みに悩んだ末、国元へ帰るように諭しておつるを帰し、泣き崩れます。おつるの両親を恋う気持ち、お弓の我が子を思う愛情と葛藤が、胸を打ちます。
公演が始まると、会場はシーンと水を打った雰囲気になりました。子どもたちはぎこちない動きだったものの、時間が経つにつれてこなれてきました。さすが、先日の公演よりも、スムーズな動きが感じられました。級友の動きを見つめる4年生、人形の動きと音とをシンクロさせようとする6年生。1・2年生は途中で体がクネクネ。ちょっと難しすぎたようです。
好評のうちに終えた公演。椅子に腰掛けたメンバーの顔には、大きな仕事をやり遂げた満足感が溢れていました。
津久田人形クラブ檜舞台で堂々公演!
津久田小人形クラブのメンバーが、津久田人形芝居櫻座生誕300年祭の檜舞台で人形芝居の公演を行い、好評を博しました。
津久田小学校では、3年生の総合的な学習の時間の1トピックとして、津久田人形にスポットを当てています。その一環で、櫻座の皆様によって「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」の公演をしていただいています。さらに公演で使用した人形の操作を体験させていただいています。まさに手取り足取りの指導で、3年生はとても楽しみにその日を待っています。
津久田人形芝居が生誕300年を迎えるにあたって、昨年度からクラブ活動の一つとして津久田小人彩クラブが始まりました。今年度は4年生から6年生の9名が参加し、「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」を熱心に練習しています。目標は、晴れの舞台である津久田人形芝居櫻座生誕300年祭で成果を問うことです。もちろん、月1回の練習だけでは足りません。そこで、夏休みから毎月特別練習を行ってきました。文字通りの特訓となりました。子どもたちは、「三人遣いの人形の操作は難しいけど、"がんばったね"と言われてやる気が出たよ」という声が聞かれました。
当日は、絶好の公演日和となりました。会場も用意された椅子がほぼ埋まっています。さらに、今回は、本物の義太夫と三味線が花を添えます。大勢の人を見た子どもたちは、「緊張するね」「でも、がんばろうよ」と緊張気味です。
演目「傾城阿波の鳴門」は、歴史的な素材を扱う「時代物」の作品で、阿波徳島藩のお家騒動を描いています。全体が10段で構成されていて、「順礼歌の段」は8段目です。
「順礼歌の段」は、長年離れて暮らした母子が再開する場面を描いています。おつる(娘)から「自分を祖母に預けてどこにいるか分からない両親を探して西国巡礼している」と聞いたお弓(母)は、両親の名を尋ねます。「ととさんの…」という有名なせりふは、その問いに答えたものです。おつるは「同じ年頃の子どもが母親に、髪を結ってもらったり、抱かれて寝たりするのがうらやましい」「一人旅なので宿に泊めてもらえずに野山で寝たり、軒先で寝てたたかれたりすることもある。親がいればこんなつらい目に遭わないだろう」と語り、両親に会いたいと切々と訴えます。お弓は思わず名乗ろうとするのですが、主君のためとはいえ、盗賊として追っ手から逃れる身です。おつるを巻き込みたくないと、悩みに悩んだ末、国元へ帰るように諭しておつるを帰し、泣き崩れます。おつるの両親を恋う気持ち、お弓の我が子を思う愛情と葛藤が、胸を打ちます。
子どもたちはぎこちない動きだったものの、時間が経つにつれてこなれてきました。その自然な動きに、会場の皆様の目も釘付けになっていました。途中で、かなりの量のおひねりが舞いました。公演は、皆様の温かい拍手を浴びて終了。顔を出した子どもたちに、ケータイやカメラのシャッター音が嵐のように降りかかりました。一人ひとりの顔を見ると、大きな仕事をやり遂げた満足感に溢れていました。
なお、この日は全員が出演できるように、午前の最後、午後の最初の2回講演を行われました。
3年生 ミーツ "桜座"
3年生の総合的な学習では、地域の素晴らしいモノ・コトを学習します。その一貫として、地域めぐりでは人形浄瑠璃を演じる舞台や人形を格納する倉庫を見学させていただきました。
この日は、津久田人形桜座の皆様をお迎えして、伝統芸能教室を実施しました。会場となった体育館は舞台が設置され、のぼりや垂れ幕が飾られました。間もなく300年に届くという伝統の重みが感じられます。見る人が見れば、まさに往事が偲ばれる何とも言えない雰囲気が醸し出されていました。
開演前に、津久田人形伝承委員長の狩野様にご挨拶と津久田人形について説明していただきました。津久田人形芝居は、江戸時代中期(享保8年頃)に興ったとされる三人遣い浄瑠璃系の人形芝居です。伊勢講のついでに大阪で芝居を見てきた当時の人々が始めたものだそうです。なんという熱意でしょう。現在、津久田桜森八幡宮境内の人形劇舞台と人形多数が県の文化財指定になっています。再来年は、いよいよ300周年。その記念すべき日へ向けて、桜座の皆様の気合いが身体から発せられていました。
いよいよ開演を告げる拍子木が鳴らされました。本日の演目は、「絵本太功記 十段目 尼ヶ崎の段」です。これは、尼ヶ崎に住んでいる老母皐月のもとへ光秀(「麒麟がくる」の明智光秀)の妻操が、嫁初菊を伴って見舞いに来ます。光秀の一子十次郎も出陣の許しをもらうために訪れ、初菊と祝言して出陣します。一方、武智方の勇将四天王但馬守に追われた久吉も、僧侶の身なりとなって宿を求めてやってきます。光秀はそのあとを追ってやって来て久吉(羽柴秀吉)を討とうとしたところ、誤って母を刺してしまいます。久吉と光秀は勝負を天王山で決しようと別れていきます。
人形芝居が始まると、会場は水を打ったように静まりかえました。子どもたちは、はじめて見る人形芝居に集中しています。見る前に示唆していただいた光秀が誤って刺してしまう人が分かったときには、「やっぱり!」という声が聞かれました。
その後、三味線・太夫の演奏を聴き、津久田人形の操作体験をさせていただきました。人形の着物をめくると、なんとシンプルすぎる骨組みが現れました。「女性に足がない。でも、女の子にはあるね」「女性は幽霊みたい」「目や口が動く人形もあるよ」という声が聞かれます。三人組で首と右手、左手、足担当に分かれていろいろな動きを試みました。「思ったより重いねぇ」「着物が重いんじゃないの」「鎧を着てるとは重いよ」「3人で動かすのは難しいね」などという声が聞かれました。
桜座の皆様も、熱意溢れる全力サポートです。「うわぁ、生きてるみたいだね」「しっかりと合っているよ」と褒められるグループもありました。
今回のように、子どもたちが文化財に直接触れることも希ではないでしょうか 今回は、地域に古くから伝わる伝統芸能に触れることができた貴重な機会となりました。3年生の中から、この誇るべき文化を受け継いでいく子が出ることを期待しています。
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